皆さんは「美術の時代や様式を1つ挙げてみて下さい。」と言われたら、どんな名称が思い浮かぶでしょうか?
美術について特別詳しくない人にこの問いかけをすると、大体の方が「印象派」の名前を挙げます。
印象派というのは、美術の1つの時代や形式を指す名称ですが知っている方は結構いるなー、という感じです。
毎年美術館の展覧会などでも、印象派の企画は必ずと言っていいほどありますし、日本人にとってなじみ深くもある美術なのだと思います。
しかし、印象派ってどんな美術なの?って聞くと大体の方は内容を答えることが出来ないという感じもするんですね。
油絵っぽくゴテゴテしたタッチという印象はあるんだと思うんですけどね。
今回はそんな印象派について、どんな特徴があるのか、どんな画家がいて作品はどういうものがあるのかなど解説していこうと思います!
印象派について知りたい、どんな画家がいるのか見てみたい方は是非この記事を読んでみて下さいね!
印象派の特徴とは?どんな美術なの?
印象派の画家たちは、自然の中の光の効果を色彩によって画面に描こうとしました。
そうした目的のために彼らは、純色(混ぜてない色)を使い大胆なタッチで描いたんですね。
それまでの絵画と違い、かなり自由な筆使いで描いたために当時は未完成の絵と言われるなどしていたそうです。
しかし彼らは活動を続け、ルネサンスから続いてきた伝統的な美術にピリオドを打つ役割を果たすようになります。
こうした運動というのは、もちろん何もない所からいきなり生まれた訳ではありません。
印象派が着想を得たのは、ギュスターブ・クールベなどのリアリズム運動だと言われています。
リアリズム運動は18世紀中ごろの美術で、それまで理想化された世界を描くべきとされていたにもかかわらず、ありのままの世界を理想化せずに描いた画家たちの活動のことです。
関連記事→リアリズム美術とは?特徴や有名画家の作品を分かりやすく解説!
こうした影響もあり、印象派の画家たちは、日常の娯楽、平凡な仕事風景、普通の風景などをモチーフにして作品を描いていったのです。
また彼らは描き方、技法が特殊でした。
最初の下描きの段階などで、野外に出て自然のなかで絵を描いたんです。
こうすることで光の効果などを直に体感していたのだと思われます。
では実際にどんな画家がいたのか、どんな作品が描かれたのかを見ていきましょう!
エドゥアール・マネ
エドゥアール・マネ(1832年1月23日 – 1883年4月30日)
ー年表ー
1832年:パリで生まれる
1848年:船員となり、海軍兵学校の試験を受けるが不合格
1850~56年:トマ・クチュールの弟子になる
1863年:結婚する
1870年:普仏戦争で国家防衛隊へ
1874年:クロード・モネと共同制作を行う
1881年:レジオン・ドヌール勲章を受章
1882年:代表作「フォリー=ベルジェール劇場のバー」を描く
1883年:死去
エドゥアール・マネを印象派の画家として扱うかどうかということは、人によって意見の分かれる部分ではあります。
彼はまっとうな美術教育を受け、サロンという正当な場所での評価を望んでいました。
しかし彼の細かい色の変化でなく、はっきりしたコントラストの強い画風などはそうした場所では受け入れてもらえませんでした。
そうして主流派とは異なる道へ進んだ彼を、印象派の画家たちは慕っていました。
また彼は印象派の画家たちと野外で制作を行うなどして、印象派の基本理念を作り上げていきました。
そういう意味において印象派の原点にいる画家なのではないかと思います。
クロード・モネ
クロード・モネ(1840年11月14日 – 1926年12月5日)
ー年表ー
1840年:パリの雑貨店一家に生まれる
1858年:野外制作を始める
1865年:サロンに出品
1870年:結婚する
1874年:第一回印象派展を開催
1879年:妻が亡くなる
1883年:ジヴェルニーに転居
1914年:代表作「睡蓮」を描くためにアトリエを新設
1926年:死去
モネは印象派のなかで最も中心的な存在でした。
ル・アブールの沿岸で過ごしていた青年時代に、ウジェーヌ・ブーダンに野外制作を勧められましたらしいです。
これが後の制作に活かされていくんですね。
しかし、その後の1860年代は非常にお金に困っており生活は悲惨な状況でした。
家族にも画業をなかなか認めてもらう事ができなかったようです。
普仏戦争時代にはロンドンに滞在し、その後にパリ近郊のアルジャンテュイユに定住することになります。
この場所で代表作と呼ばれる傑作がいくつも誕生しました。
印象派の画家はそれぞれの方向性へと歩んでいきましたがモネは生涯、印象派の本質的なテーマである光について研究していったようです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年2月25日 – 1919年12月3日)
ー年表ー
1841年:リモージュで仕立て屋の家に生まれる
1854~58年:陶器の絵付け画家のもとに弟子入り
1861年:モネやシスレーなどの出会う
1874年:第一回印象派展に出品
1881年:代表作「舟遊びをする人たちの昼食」をてがける
1919年:死去
ルノワールは印象派の中でもトップレベルの知名度と人気を誇る画家です。
しかしながら成功するまでには非常に多くの障害を乗り越えてきた人物だと言えるでしょう。
生まれた家は貧しかったため、13歳で陶器の絵付け画家に弟子入りしました。
その後日よけ装飾の仕事をしていたようです。
そのような仕事を経て、シャルル・グレールのアトリエへ入りました。
そこで後の印象派グループの仲間たちと出会ったんですね。
モネとはよく一緒に野外で制作していたようで、この当時の二人の作品は酷似していて見分けるのが難しいです。
その後印象派のグループとは別々の活動を行い、独自の絵画を研究していきました。
まとめ
今回の記事では日本でもよく知られる印象派について、どんな特徴があるのか、どんな画家がいたのかを作品と共に解説してみました。
印象派は美術の歴史の中でもトップレベルの革命だったと思います。
展覧会などに見に行く際はそうした歴史をちょっと知っていると楽しいかもしれないですね!
もしこの記事がお役に立てれば何よりです。
ではでは今回はこの辺で!
また別の記事でお会いしましょう!
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