皆さんはどのように美術の歴史を覚えたりしていますか?
美術の歴史、つまり美術史というのは大きい区分に分けて考えると、とても分かりやすいと思います。
15世紀くらいからの美術史をおおまかに時代区分すると以下の様になります。
・19世紀~:近代美術(リアリズムの始まり)
・20世紀~:現代美術
かなり大ざっぱな分け方ですし、近代美術の始まりや現代美術の始まりがどこにあるのかというのは、人によって意見が分かれるところなので明確にはできません。
しかしどの意見でもおおよそは時代区分はこんな感じになっています。
今回の記事では近代美術の始まり、きっかけになった「リアリズム」という美術の様式について解説していこうと思います。
リアリズムがどんな美術だったのか、どんな画家がいて、どんな作品が作られたのか興味がある方は是非読んでみて下さいね!
リアリズム美術とは何?どんな特徴があるの?
リアリズムという美術の運動は、19世紀半ばくらいから起こりました。
それまでの保守的な様式であったアカデミック芸術が終わりを迎え、新しい時代の美術が始まった時代だと言えます。
その新しい活動の中心的人物が、ギュスターヴ・クールベやジャン=フランソワ・ミレーでした。
彼らは1840年代にパリの居酒屋ブラッスリー・アンドレールに集まり、政治や社会問題、新しい芸術について熱い議論を交わしあっていました。
この議論を行った場所を「リアリズムの殿堂」と呼称し、クールベは自身の芸術様式をリアリズムと呼ぶようになりました。
これが名称の由来なんですね。
いまでこそ、クールベの絵は一般的な絵画のイメージと遠くありませんが、当時は革新的だったため、かなりの非難を受けたようです。
それまでのアカデミーの常識を無視した絵を描いたんですね。
それまでは風景の中に小さく入れられた農民を大きく描いたり、人物画では太った裸婦を理想化せずにそのまま描いたりしたんです。
クールベは更に1855年に「リアリズムの展示館」を万博に設置するなど、精力的な活動をしており、後の印象派の活動に繋がっていきます。
ではクールベをはじめとしたリアリズム美術の画家について解説していこうと思います。
ギュスターヴ・クールベ
ギュスターヴ・クールベ (1819年6月10日 – 1877年12月31日)
ー年表ー
1840年:21歳でパリへ
1844年:「黒い犬を連れた自画像」という絵が官展に入選
1849年:最初のリアリズムの作品を描く
1855年:「画家のアトリエ」という絵が展示拒否される
1866年:代表作「世界の紀元」を描き始める
1871年:美術館管理者に任命される
1871年:ナポレオン戦勝記念塔を壊して逮捕される
1873年:上記の罰金を払って国外へ
1877年:死去
先ほども少し解説しましたがクールベは18世紀当時、革新的な画家でした。
これはリアリズムの特徴でもありクールベ作品の内容でもありますが、徹底した理想主義の排除が挙げられます。
それまでのアカデミックな絵画作品というのは、何を描くにしても理想の美しさを画面に描きだすという事が重要視されていました。
その点、クールベはひたすらに現実をありのままに写すということをしました。
理想化しないという事です。
また、彼は1840年に法律を勉強するためにパリへと赴きました。
そしてパリで絵の研究に没頭し、画家を志すようになりました。
最初は上手く出世街道に乗っていたクールベですが、作品の内容がそれまでの常識から外れていることを理由に受け入れてもらえなくなりました。
そうして次第に反体制の傾向が顕著化し、リアリズムの作風を強めていったんですね。
ジャン=フランソワ・ミレー
ジャン=フランソワ・ミレー(1814年10月4日 – 1875年1月20日)
ー年表ー
1814年:ノルマンディーで生まれる
1832年:シェプールの画家の弟子になる
1837年:パリでドラローシュの弟子になる
1840年:肖像画が官展に入選する
1848年:農民を題材にした絵を描き始める
1849年:バルビゾンへ移住
1867年:パリ万博にて展示する
1875年:死去
ジャン=フランソワ・ミレーは故郷であるノルマンディーの田園風景を描いた作品で広く知られているリアリズムの画家です。
田舎で大地と共に生きる人々を描いた絵画も非常に有名で、美術の教科書などにも必ず載っています。
後期印象派のゴッホにも影響を与え、褒め称えられています。
主にシェルブールとパリで絵の修業を積みました。
初期の頃は肖像画や歴史画を描き、生活を送っていたそうです。
それから絵を描き続けたミレーは次第に社会的、政治的なメッセージを作品に込めるようになります。
家族が多くいたために、ほとんどの時期で貧しかったらしいですが晩期にはレジオン・ドヌール賞を受賞するなどして、称えられるようになりました。
カミーユ・コロー
カミーユ・コロー(1796年7月17日 – 1875年2月22日)
ー年表ー
1796年:パリで生まれる
1825年:ローマ、ヴェネチアを訪問する
1827年:「ナルニの橋」を官展に出品する
1836年:アヴィニョンに滞在する
1846年:レジオン・ドヌール・シュヴァリエ勲章を受章する
1872年:ドーミエに家を買い与える
1875年:死去
カミーユ・コローはフランスやイタリアを旅して、即興的な風景スケッチ画を多く制作しました。
その独特な作風は、後の印象派と似ている点も多く時代をかなり先取りしていたようにも思えます。
コローは経済的にもかなり成功した画家であり、生活に困窮していたミレーやドーミエを支援していました。
しかし彼自身の作品は、社会的な意味合いの強い他のリアリズム作家の作風とは一線を画していたように思えます。
まとめ
今回の記事では近代美術の走りである「リアリズム美術」について解説してみました。
近代の作家は日本で非常に人気が高く、教科書などにも多く載っていると思うので知っている画家もいるかもしれませんね。
もしこの記事でリアリズムについて興味を持っていただけたならうれしいです。
ではでは今回はこの辺で!
また別の記事でお会い
しましょう!
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