僕はほとんど毎日絵を描く生活をしていますが、どうもやる気が凄くある時となかなか出ない時の差が大きい日があったりします。
この前、本か何かで見たのですが何やら気圧の変化で人間のやる気は上下するそうですね。
よく昔から雨の日はやる気が起こらないと言われているのは気圧が低くなりがちだからそうです。
どんなに人間の技術が発展しても、そこは生き物として変わらない部分なんだなぁと思ったりしました。
さてさて今回は「エル・グレコ」というマニエリスムと呼ばれる作風・時代で有名な画家を紹介してみようかと思います。
エル・グレコに興味のある方は是非読んでみて下さいね!
エル・グレコのプロフィール
生没年・・・1541年 – 1614年4月7日
出身・・・クレタ島 活躍した場所・・・スペイン
作風・・・マニエリスム
パトロン・・・スペイン貴族など
埋葬された場所・・・サント・ドミンゴ・エル・アンティグオ修道院
エル・グレコってどんな画家?
エル・グレコの故郷はクレタ島という場所なのですが、彼はそこからヴェネツィア、ローマ、スペインと転々として画家の活動を行っていました。
そして、最終的にトレドで大きな成功を収めることになります。
もともと小さな作品を描いて画家活動をしていたグレコでしたが、トレド大聖堂を飾る大きな祭壇画の制作を任されるなど、目覚ましいキャリアアップを果たした画家だったんです。
その時に描いた「聖衣剥奪」という作品が大きな反響を呼び、たちまち人気画家となったんですね。
次々に制作の依頼が舞い込んだ彼の生活は非常に豊かになり、全盛期は貴族の邸宅を工房にして贅沢に暮らしていたようです。
しかしながらエル・グレコは作品の報酬代金などで依頼主と揉めることが多々あり、それが悩みの1つだったといいます。
依頼側とグレコ側で提示する金額が折り合わないことが多かったらしいんですね。
当時の作品の報酬金額を決定するシステムは現在とかなり異なっています。
まず依頼主側、制作側で、それぞれが作品の値段を決める査定人を選びお互いの結果を考慮して値段が決められていました。
その際にどうしても値段が決められない場合は、依頼側の選んだ調停係が値段の調整を行っていたので、画家側が不利になる場合が多かったんです。
グレコは自らの作品の値段をかなり高めに見積もっていた事もあり、依頼側と揉める原因となっていたそうです(難しい問題ですね)。
晩年のグレコはそうした問題もあって困窮した生活を余儀なくされ、作品の値段を下げて生活をせざる負えなくなっていったようです。
エル・グレコが生きた時代の芸術事情
エル・グレコが活躍した16世紀は宗教的な改革が起こっていた時代でもありました。
マルティン・ルターによって協会批判が起こり、そこから宗教改革が起こっっていきました。
キリスト教がカトリックとプロテスタントに二分化されてしまったんですね。
プロテスタント側は偶像崇拝を禁止するなどするなか、カトリック側は勢力を取り戻すために祭壇画や彫刻を上手く活用しようとしました。
信者達の信仰を強化したいと考えたわけです。
エル・グレコが活躍したカトリック教のスペインもこういった信仰促進の策を取り入れていく事になります。
当時フェリペ2世は宮殿と修道院の二つの役目を兼ね揃えたエル・エスコリアルの建築に乗り出しました。
そこには数多くの宗教画、彫刻が必要とされ、それに伴い多くの芸術家が駆り出されることになります。
もちろんエル・グレコもそのプロジェクトに参加しました。
しかしながら彼の描いた「聖マウリティウスの殉教」という作品は認めてもらう事が出来ませんでした。
求められていたのは信仰心を強く煽るような作品だったのですが、エル・グレコが描いた絵の中で殉教シーンが遠景に描かれていて、そうした目的にそぐわなかったからだと言われています。
国王の意図を読み間違えたせいで宮廷画家へなり損ねてしまったんです。
エル・グレコの代表作品「受胎告知」と「オルガス伯の埋葬」
エル・グレコの代表作品の中でも特に有名なのが「受胎告知」ではないかと思います。
受胎告知はマリア様が聖霊によってイエスを身籠る事を天使ガブリエルが伝えに来るシーンですね。
多くの画家がこの題材で作品を手がけており、レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知はかなり有名な一枚だと思います。
また、エル・グレコが描いた受胎告知は1枚だけではなく、複数枚存在していて各国の美術館などに収蔵されています。
日本の岡山県にある大原美術館にも、1590年に描かれたとされる受胎告知があります。
実は日本にはエル・グレコの作品は二枚しかなく、国立西洋美術館にある「十字架のキリスト」と共に非常に貴重な作品です。
また「オルガス伯の埋葬」という絵もエル・グレコの代表的な作品として有名です。
信仰の厚かったオルガス伯の葬儀が行われる際に、聖ステファヌスと聖アウグスティヌスが天から舞い降りてきて埋葬を手伝った・・・という伝説が題材になっています。
この作品はトレドでエル・グレコの地位を決定的にした作品でもあります。
画面が二分された構図で、下側が地上の世界、上側が天上の世界を表しています。
中央の天使に抱かれている赤ん坊は伯爵の魂として描かれています。
地上と天上で描かれ方が違う所が面白い部分でもあると思います。
地上は現実的な描写で描かれていますが、上側は神秘的な雰囲気、状況が描かれているんですね。
また、マニエリスムの影響が強く、伸ばされた人体のプロポーション、強調されたポーズが印象的です。
色彩やタッチも力強く荒々しくダイナミックな作品になっていますね。
こうした大胆なデフォルメ、色彩はエル・グレコの特徴の1つと言えるかと思います。
まとめ
今回はマニエリスムの画家として有名な「エル・グレコ」がどんな画家だったのか、どんな作品が有名なのかなどを分かりやすく解説してみました。
エル・グレコの絵はデフォルメや色彩が強烈で、インパクトのある作品が多いように思います。
ではでは今回はこの辺で!
また別の記事でお会いしましょう!
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