いきなりですが、皆さんは知っている画家ってどれくらいいるでしょうか?
知っている画家の名前を教えて、と聞くと大体の人が挙げる名前の1つに「ピカソ」と言う方が多いです。
きっとどんな画家はよく知らなくても、ピカソという名前だけは聞いたことがあるのではないかと思います。
今回の記事では、このピカソが行っていた「キュビズム」と呼ばれている美術や時代について解説していこうと思います。
ピカソ以外のキュビズムを研究していた画家や、そもそもキュビズムとは何なのか?という疑問にも、簡単に分かるように紹介していくので、キュビズムの基本が知りたい方は是非読んでみて下さいね!
キュビズムとは?どんな美術だったの?
キュビズムは誕生からわずか数年で、それまで西洋美術の中で当たり前とされてきた遠近法などのルールを根底からひっくり返しました。
最初はたった数人の画家の活動でしたが、後に続く美術の革命の土台となるほど大きな革命だったと言って良いと思います。
20世紀の始まり頃になると、多くの画家が物が本当にそこにあるかのよなリアルな絵を描こうとはしなくなりました。
写真の発展に伴ってその必要性が無くなってしまったと言っても良いと思います。
物体や空間をキャンバスにそのまま再現していく事が重要ではなくなったんですね。
そんな中、現れたのがキュビズムという美術の技法でした。
キュビズムでは一つの物体を、固定した一つの視点で描くのではなく別々の角度から見たイメージを一つの絵の中に合成していったんです。
何が描かれているのか非常に分かりづらく、理解するのが難しいのはそうした理由があるからなんですね。
このキュビズムをスタートさせたのは、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという画家でした。
キュビズムはあまりにも革新的だったために、二人の作品は非常に難しく解読困難なものになりました。
ではここで実際にキュビズムで有名な画家と作品を観てみましょう!
パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソ(1881年10月25日 – 1973年4月8日)
ー年表ー
1901~04年:有名な「青の時代」と呼ばれる作品を描く
1904年:パリに移り住む
1904~06年:「バラ色の時代」の作品を描く
1906~07年:「アヴィニョンの娘たち」を描く
1907~14年:ブラックとキュビズムの研究を行う
1925年:シュルレアリスム展に参加する
1937年:「ゲルニカ」を制作
1944年:共産党に入党する
1947年:南仏ヴァロリスへ
1973年:死去
ピカソは20世紀で最も偉大な芸術家と言って過言ではないでしょう。
20世紀の美術の土台をつくりあげました。
早いころから才能を開花させたピカソは15歳までに伝統的なコンペで受賞するなどしています。
パリに移り住んだピカソは伝統に縛られない画家達と交流を持ちました。
そこで出会ったのがキュビズムを共に研究していくことになるブラックでした。
1909~1914年くらいまでこの二人はキュビズムの世界を牽引する存在でした。
視覚的な伝統を打ち破ることに関して誰よりも時代を先取りしていたんですね。
女性関係が派手だったピカソは、絵のモチーフに妻や恋人たちを選ぶことが多々ありました。
また一つの様式や流行りにこだわりが無かったピカソは、様々な作風の作品をこの世に残していきました。
ジョルジュ・ブラック
ジョルジュ・ブラック(1882年5月13日 – 1963年8月31日)
ー年表ー
1907年:ピカソと共にキュビズムの研究を始める
1915年:戦争により負傷する。二年間の療養生活を送る
1920年:連作「テーブル」を制作
1949~50年年:連作「アトリエ」を制作
1963年:死去
ジョルジュ・ブラックはピカソと共にキュビズム作品を発表した画家です。
1906年頃まではキュビズムではなくフォービズムの作品を描いていましたが、ピカソと出会ったことで作風が変化していきます。
関連記事→[野獣派]フォービズムとは?有名画家や代表作を分かりやすく紹介!
ブラックはピカソに出会ったことで、新しい絵画である「キュビズム」へ取り組むようになったんですね。
その後戦争で頭部を負傷し、二年間療養生活を送ります。
回復した後には、一時的にキュビズムの活動に戻りましたが、だんだんと個人的な様式へと変わっていきました。
「テーブル」「ビリヤード」「アトリエ」などの作品にはブラック独自の取り組みが反映されています。
フアン・グリス
フアン・グリス(1887年3月23日 – 1927年5月11日)
ー年表ー
1906年:パリへ転居
1912年:アンデパンダン展にキュビズムの作品を出品する
1915年:フランスのコリウールでマチスと会う
1923年:パリで個展を開催
1924年:パリで講義などを行う
キュビズムの代表的な画家を挙げるならピカソとブラックですが、もう一人のキュビズム画家の名前を出すとすればフアン・グリスなのではないかと思います。
彼は19歳でパリへ移住し、そこでピカソと知り合いました。
1911年頃からキュビズムに関わり、この様式で才能を発揮したんですね。
明るくカラフルな絵は、最初にキュビズム作品を展示した際に画商たちからも注目されたらしいです。
キュビズムの研究をしていくうちにコラージュ技法を使用するようになり、他のキュビズム画家達とは一線を画す存在となりました。
まとめ
今回の記事では、ピカソの名前を世界に知らしめるきっかけにもなった「キュビズム」について解説してみました。
キュビズムは難解な絵に見えますが、それまでの伝統をひっくり返す大きな革命だったと言えます。
20世紀の美術の土台になった様式だったと言って過言ではないと思いますよ。
ではでは今回はこの辺で!
また別の記事でお会いしましょう!
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