最近寝相が悪くてベットから落ちてしまいます。
さてさて、皆さんはTVなどを観ていているとアメリカなどで女性の権利を主張する活動などを見たことがあるのではないでしょうか?
女性の団体がプラカードをもって行進しているような光景のことです。
こうした活動はアーティストにも強い影響を与えていたりして、結構美術に関係のある事だったりするんです。
今回の記事ではそうした女性運動に関係する「フェミニズムアート」について解説していこうと思います。
フェミニズムアートってなんだ?という方は是非この記事を読んでみて下さい!
フェミニズムアートとは何?どんな運動なの?
20世紀になるまで女性の芸術家というのは芸術の世界の中から、事実上排他的に扱われてきました。
芸術の巨匠なんかはほとんど全員が男性ですよね。
1960年代という最近?の環境ですら、認められた芸術家というのは数えるほどでした。
しかし、その後10年間くらいで数々の女性アーティストが色々な作品を発表して有名になっていきます。
男性優位に社会で、女性アーティストが反撃していく事になるんですね。
こうした活動によって有名になった作品が「フェミニストアート」と呼ばれています。
このフェミニストアートが、他のアートと違う点として「差別問題」、「男性の暴力問題」、「女性への賞賛」といった主題を扱った点にあります。
男性が抱く女性に対するステレオタイプを打ち砕きたい、という狙いもあったようです。
では実際にこの時期に活躍した、女性アーティストを紹介してみようと思います。
ルイーズ・ブルジョワ
ルイーズ・ブルジョワ(1911年12月25日 – 2010年5月31日)
ー年表ー
1926年:ソルボンヌ大学で数学を学ぶ
1938年:結婚してニューヨークへ移住する
1938~40年:絵画を学ぶ
1949年:彫刻の展覧会を開催
1973年:夫が亡くなる
1974年:有名作「父の破壊」を制作する
1993年:アメリカ代表としてヴェネチア・ビエンナーレに参加
1999年:ロンドンのテートモダンで展覧会を開催
ルイーズ・ブルジョワは画家、彫刻家として活躍したアーティストです。
彼女の両親はタペストリの修復専門家で、しばしばその作業のデザインなども手伝っていたようです。
数学を学んでいた彼女でしたが、両親に勧められパリの「エコール・ド・ルーヴル」や「エコール・ド・ボザール」で美術を学び、画家の助手をするなどして働きました。
1938年には美術評論家のロバート・ゴールドウォーターと結婚しニューヨークに移住します。
そして版画の展覧会をそこで開くんですね。
更に1940年になると、版画から彫刻へ表現を変えていく事になります。
主に人物像を制作しました(使う素材は一般的に彫刻に使われないものが多く使われたようです)。
70年代に父と夫が死去してしまいます。
この時期が転機となり、彼女はフェミニスト的な作品「父の破壊」などを制作するようになります。
こうした作品が賞賛を集め、アーティストとして高い名声を得ることになりました。
ジェニー・ホルツァー
ジェニー・ホルツァー(1950年- )
ー年表ー
1950年:アメリカのオハイオ州で生まれる。
1977年:ニューヨークへ移住する
1980年代:大きなプロジェクトを行い始める
1990年:ベネチアビエンナーレで賞をとる
1991年:日本でも電車の電光掲示板を使った作品を展示する
1996年:プロジェクターを使用したパフォーマンスを行う
もともとジェニー・ホルツァーは抽象絵画や版画を制作するアーティスト、画家でした。
1975年の大学院生の頃にコンセプチュアル・アートに興味を持ち始めたようです。
1977年になるとニューヨークへ移り、公共の場を使ったアート作品を展開していきました。
作品の中に言語(語録)を混ぜ込み、それを作品とすることが多いです。
「自明の理」という1977年の作品は、公共の場にポスターという形で格言を展示する活動でした。
後にLEDなどを用いて言葉を表示するようになるなど、新しい技術を作品に取り入れています。
1990年の「扇動的な随想」という作品はフェミニストのイデオロギー宣言として有名なようです。
ジュディ・シカゴ
ジュディ・シカゴ(1939年7月20日~)
ー年表ー
1939年:シカゴで生まれる
1957年:シカゴを離れ、ロサンゼルスで学ぶ
1970年代:フェミニスト活動の中心人物として活動を始める
1974~79年:有名作「ディナーパーティー」を発表
1993年:「ホロコースト・プロジェクト」を成功させる
ジュディ・シカゴというのは改名後の名前で、本名はジュディ・コーエンと言います。
生まれたシカゴからとって名前を付けたんですね。
彼女は1970年代以降のフェミニストアートの中心的な存在だと言えると思います。
1957年に故郷であうシカゴを離れてロサンゼルスで勉強し、その後の活動はカリフォルニアを拠点にして行っています。
1970年代になるとフェミニスト・アート・プロジェクトの設立に携わりました。
彼女の作品は政治的な主張が非常に強く、少数派フェミニストなどの思想が彼女の作品の着想元になっているようです。
また、「ディナーパーティー」や「ホロコースト・プロジェクト」などの作品によって彼女は現代アメリカの代表的アーティストになりました。
まとめ
今回の記事では「フェミニズムアート」と呼ばれる運動、活動について解説してみました。
こうした活動を見ていると、アメリカのアートは物凄く政治的な意味合いを強く含んでいるんだなぁと感じますよね。
ではでは今回はこの辺で!
また別の記事でお会いしましょう!
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